『就職戦線異状なし』シナリオ創作ノー卜
一なりたいものじゃなくて、なれるものを探し始めたら
もうオトナなんですよ−
この1行を書いてふとワープロを打つ手を止めてしまった。
よく考えてみれば、ポクはまだなりたいものを追い求めている。
なれるかどうかなんて全然わからないし、
その才能やチャンスがあるのかどうかすらわからない。
でも、自分は運のいい人間だからきっといつかはうまくゆくだろう…・‥
裏づけもなんの根拠もない自信だけが味方だった。
そんなボクにとって、この「就職戦線異状なし」は、
日本映画界(もしそう呼べるものがあるなら)への、
実質的な就職活動と呼べるものだった。
1990年11月下旬。
下北沢で芝居の公演中だったポクの所へ金子監督が現れる。
「忙しい?」
当たり前でしょ公演期間中なんだからと思いながら答える。
「暇で暇で」
12月上旬。アワナで打合せが始まる。
監督とプロデューサーの石原氏、瀬田氏、一瀬氏を交え、
大まかな話をつくってゆく。
壁に貼った白い紙に流れを書き込んだポストイットを貼ってゆく。
が、なかなか埋まらない。
「どだい今の学生の就職活動で青春映画は無理なんだよ」
という意見も出てくる。
そんな殺生な、ポクの就職活動は風前の灯。
中旬。ラストに主人公が就職してしまうことがどうもスカッとしない。
就職するということがかっこいいことに思えない、
ある種の挫折感まで漂っている。
下旬。世の中忘年会シーズン。
なんとかハコをつくってもってゆく。
フジテレビの鎌田氏、加藤氏を加え討論。
GOサインが出る。
気持ちよく忘年会に参加できたが一稿の締切りは年明け。
就聯活動にお正月はない。
田舎に帰ってポーツとしているうちに1991年も一週問過ぎた。
苦労してもって帰ったワープロは、
親に対して「ちゃんと仕事をしてるんだ」というポーズをとるための
道具でしかなかった。
1月中旬。締切りを延ばしてもらおうとアワナヘ電話する。
「今日中にはできると思うんです、
でもかなり遅くなると思うんで明日FAXします」
「いいよいいよ、できるまで待ってるから。今日中にできるんでショ?」
「は、はあ」
ゲッ、まずい!身から出た鋳。必死でワープロを打つ。
自分で言うのもなんだがポクは追い込まれると強い。
そういうときの自分は自分じやない。
今回も就職の神様が助けてくれた。
首をなが−くして延びきってしまったプロデューサーや監督の元へ
FAXし終わったのは23時55分くらい。やった、今日中だぜ!
2月に入り、神楽披の旋館に泊まりこむ。一度やってみたかったカンヅメ。
でも一度で十分だとわかった。
掘りゴタツて監督と顔を突き合わせて話し合う。
皆が一様にお煎餅を差し入れてくれる。
ポクがワープロを打つ音と、監督のお茶を飲みお煎餅をかじる音が
静かな郡星に流れる。
カチャカチャずるずるポリポリ、カチャカチャずるずるポリポリ。
何だかこういう雰囲気っていいなぁと妙に納得する。
「咬みつきたい」の脚本に協力したときはずっと喫茶店だったので
こういう落ち着いた感じはなかった。
監督とポクのテンポは神楽坂で一つになったといっても過言ではない!
(監督がこのことをどう言おうがし−らないっと)
3月。二稿、決定稿、撮影稿と何度も修正を加えながら、クランクイン!
しかし、まだまだ台本の直しが入る。
いいものをつくろうというスタッフの熱意に何だかとても感動する、
と同時に、
ポクの書いた一行のために四苦八苦している姿を見て非常に恐縮する。
思えば、就職活動なんかしたことのない連中が集まって
就職の話をつくろうとしているのだから、これは大それた事だ。
ボクも学生の頃は無知なこの主人公のような状態で、
一度面接に行って、こういうことは自分には向いていないと
さっさと結論を出してしまった 。
今回、現役の学生達、採用する側に取材を重ね
「マスコミ就職ならドンと任せなさい!」と大口をたたくまでになった。
まさに就職活動をしているこの映画の登場人物と
同じ視点に立てたのではないかと思う。
6月。0号試写、監督スタッフ出演者に拍手。
ステキな青春映画がそこにあった。
こうして「就戦戦線異状なし」というポクの就職活動は終わった。
そして、結果発表がこれから始まる。
(月刊シナリオ 1991/8月号掲載)
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